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世界で活躍する武道家

VOLUME 01

空手家 貫名信行先生

INTRODUCTION

日本から海外伝播した武道の愛好者は、今や世界中にあふれています。ここでは国際的に活躍する武道家に焦点をあて、活動の様子や考え方を広く紹介していきます。


初回に登場いただくのはオーストリアとルーマニアを拠点とし、ヨーロッパ全土で空手指導を展開する和道会6段の貫名信行(ぬきな のぶゆき)先生です。貫名先生は、学生時代に近畿大学空手道部の主将として全日本学生大会で3連覇を果たした伝説の選手ですが、若くして海外に飛び出しました。現在、ヨーロッパを代表する空手家の一人です。

「己を知ること」

ー 最初に、現在にいたるまでの経歴や活動状況を教えてください。

貫名先生:私は学生時代に近畿大学空手道部に所属していました。大学卒業後の1996年からしばらく会社に勤務しましたが、縁があって2002年にルーマニアの首都ブカレストに移り住みました。翌2003年に妻のジョルジアーナ(和道会初段)と育英館空手道場を設立し、長女が生まれた2004年以降は一人で指導をしています。

2020年にオーストリアのウィーンに拠点を移し、現在は2週間に一度の割合でブカレストにある支部でも指導しています。ウィーンには35名、ブカレストには65名の弟子を抱えています。育英館の本部は名古屋にありますが、ヨーロッパではウィーン、ブカレスト以外にもハンガリー支部があります。ヨーロッパでは「育英館キッズカップ」「育英館ルーマニアカップ」を毎年開催しています。それ以外には、個人的にイギリス、イタリア、ベルギー、スウェーデン、キプロス、ウェールズ、ウクライナ、ロシア、ブルガリアで和道会技術セミナーを定期的に開催しています。

ー 子供の頃から学生時代までどのように空手道に取り組んできましたか。

貫名先生:私は幼少の頃から空手道に興味をもっていました。小学校2年生の時、実家のそばに育英館という道場がオープンしたのですぐに入門しました。育英館の指導者は松崎彰雄先生で、私はその方の一番弟子になります。

 

当時の松崎先生は20代と若く、私は先生から基本に忠実な伝統的な指導を受けました。小学生の時は基本の稽古だけという徹底ぶりで、組手は中学生になってからはじめました。子供の時代に厳しい基本稽古を積んだことは、後に私の大きな財産になりました。目に見えない部分を頭で理解するのではなく、五感をフルに活用して身体で覚えるということが重要な点です。こうした稽古には、反復練習に耐える忍耐力以外にも時間が求められます。一度身体にしみ込んだ感覚は、絶対に忘れることはありません。

 

私が進学した高校には空手道部がありませんでした。そのため3年間、松崎先生の母校である中京大学空手道部に通わせてもらいました。そこでは、大学生に混じって地力をつけることに努めました。

 

高校卒業後は、空手道部が強いことで有名な近畿大学に進学しました。ここでの4年間は本当に空手漬けの日々でした。例えば、大会前の合宿では1日で8時間、4回の過酷な稽古をしました。部内での人間関係にも苦労はしましたが、なによりも先輩たちとの技術レベルの差が大きく、技が見えないこともありました。こうした苦労もあり、休みで名古屋へ帰省する際には電車の中で泣く日々も経験しました。

 

ただ、歯を食いしばって努力したため自力もつき、3年時から団体組手のレギュラーに入りました。そして、全日本学生選手権で近畿大学は2連覇しましたが、4年時に主将となり3連覇を達成することもできました。3連覇は日本の学生連盟史上では初の快挙で、私の空手道人生のなかでもひとつの誇りになっています。

 

この学生時代に私を指導してくれたのは、故木島昭彦監督です。全日本大会の前に全関西学生選手権がありましたが、実は、私が決勝戦で引き分けたために近畿大学は5連覇を逃してしまいました。大会後の反省会で、私は木島監督にかなり厳しい指導を受けました。しかし、この敗戦が自信を失いかけていた私とチーム全員の結束力を高めてくれました。全日本学生選手権の当日、私には絶対に優勝できる自信があったばかりでなく、身体もエネルギーがあふれて宙に浮いている感覚がありました。

 

この近畿大学時代には辛い記憶もたくさんありますが、本当に濃密な4年間を過ごすことができたと思います。空手道の指導者として生きる私のキャリアに絶大な影響を与えてくれたことは間違いありません。

ー 海外へ飛び出した頃の様子を教えてください。

貫名先生:私が海外へ出たのは、1998年に結婚した妻の影響が大きかったと思います。思い返すと、それまでの私は体育会系あがりの視野の狭い人間でした。ただ、海外で空手道を指導することには運命を感じていました。そのためヨーロッパへの移住は、もちろん家内の存在も重要でしたが、最終的には私自身の判断で決めました。当時はまだ無職でしたが、空手道で生きていけるとも考えていました。

 

私がルーマニアに移住した当時、空手道はヨーロッパに普及して30年ほど経過した頃でした。西ヨーロッパで行われていた伝統空手のレベルは、私の想像を越えていました。しかし、ルーマニアの空手はさほど高いレベルにはなく、それよりも国自体が共産主義から脱してまだ10年ほどしか経っていませんので、日々の生活でかなり苦労を強いられました。また、ルーマニア人のメンタリティーは日本人のそれと根本的に違いますし、西ヨーロッパと比べても異質であることにも苦労しました。それ以外にも、例えばルーマニア空手道連盟との意見の相違もひとつの壁となりましたが、こうした問題は、ルーマニア語が上達したことで徐々に解消されていきました。

 

ルーマニアは日本ではあまり馴染みのない国ですが、ラテン系民族の国ということもあり、人々はポジティブにいえば物事に拘りがなく、楽天的です。ネガティブにいえば、忍耐力に欠け、個人主義で他人のことを考えないタイプでしょう。ただ、この人々の与える愛の実践力は素晴らしいものがあり、私はそれを日々学んでいます。

ー 貫名先生は、国際的な空手道界はこれからどのような方向に進むと考えていますか。

貫名先生:すでにみられる現象ですが、武道空手とスポーツKARATE、世界の空手道はこの二極化がますます進行すると思います。武道空手は、人間力がないと理解が難しい点に特徴があります。それに対してスポーツKARATEは、不特定多数の人間が理解するには容易かもしれません。したがって、この二極化された空手の間にあるギャップを埋めた上で、次の世代を育てることができる指導者の存在が今後の空手道界には重要になると考えています。

 

他のスポーツも類似した性質をもっていると思いますが、二極化が進むと空手道の目的は勝ち負けを争うだけになってしまいます。そうすると、空手道を実践する人々の質の低下を招き、空手道が大切にしている人間としての高貴な部分を学ぶ特性がないがしろにされてしまうことになります。空手道が武道である以上、目に見えない本質的な部分、これは身体的でもあり精神的でもありますが、そうした内容を見極める力を養う必要があります。これは人間力が備わらないと理解できない、空手の奥深い部分に関わる話です。

 

これは技術的な話に照らし合わせると、次のようにもいえます。ヨーロッパの人々はロジックが強く、何事も論理的に学ぼうとします。そのため、表面的な部分だけを学ぶと、それで全てを理解したと思ってしまう傾向があります。しかし、感覚が鈍い人もいますので、実は目に見えないエッセンシャルな部分が理解されない、あるいは重要な部分を表現できないまま終わってしまうということが起こります。私はヨーロッパへ来て、こうした東洋と西洋の技術習得過程の違いを実体験として比較できるようになりました。これは私にとってとても大きな収穫になっています。

ー 次世代を育てる指導者にとって大切なことは何でしょうか。

貫名先生:まず大切なことは、愛情をもって指導にあたることです。そうすることで常にポジティブな心を持つことができるばかりでなく、それを基にして人間としてのバランスを保持することもできます。次に、謙虚さを忘れず、常に逆境から物ごとを学ぶ精神をもつことも大切です。


こうしたことを実践し、口だけではなく行動を通じて人に何かを伝える。「背中」で誰かに何かを伝えられるようになれば、似たようなポジティブなエネルギーを求める生徒が自ずと集まってくると思います。つまり、目に見えないポジティブなものを求め、それを追求する心が何よりも大切だということです。

ー 海外で活動する日本人が考えるべきことがあれば教えてください。

貫名先生:ヨーロッパには、空手道のパイオニアとして活躍された先生方がたくさんいます。こうした方々の貢献は多大ですが、その裏には想像できないほど苦労があると思います。今、ヨーロッパ空手道の発展は、こうした先人あってのことです。


ただ普及がはじまり50年以上経過しました。先に述べたように、西洋人と日本人との技術習得過程に違いがみられます。そこを上手くアプローチしないとただの押しつけになるばかりか、ヨーロッパ人の特徴を消してしまう可能性もあります。日本人が空手道の母国として自負するのは当然だと思います。しかし、それをヨーロッパ人の土壌でどのように種を巻き、育て、花を開かせるかは簡単ではありません。そこには、指導者の愛情を基にした先見性が必要になると私は思っています。

ー 貫名先生が目指していることを教えてください。

貫名先生:空手道が日本から海を渡って既に半世紀が経過しました。そうした現状のなかで、私は日本人としてヨーロッパ人とどのように向き合っていくかを常に考えています。彼らを愛しつつ、謙虚さを保ち、「さすが日本人の指導者だ」と評価される人間になりたいです。また、国際的な人間力を持った次世代の指導者育成にも努めたいとも感じています。

ー 最後に、武道を通して国際的な活動を目指す若者にメッセージをお願いします。

貫名先生:まずは己を知ること。そのためには海外へ出て、自分を試すべきです。そうすれば自分の長所、短所が見えてきます。同時に、他者との違いも比較ができるようになります。
日本人であれば、日本、日本人としての誇り、喜びも湧いて出てきます。そうすれば自分の役割も明確になってくるかと思われます。自分を信じる前に、自分を知らなくては信じることはできないはずです。

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